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探求の哲学
Philosophy

道具,広くは技術の利用により人間の生きる可能性を拡げるためには,技術の機能目標を実現し,その機能を限定領域の中でそのまま維持し続けようとするのみではなく,何が生じるか分からない不定性に備えて,人間の行為の可能性を絶えず開発し続ける方向性も考えられる.
人間としての生きる可能性を開拓し続ける創出的行為は,日本文化に浸透している,いわゆる「道」の探求と重なる.本来の「道具」の字義的な意味は,まさにこうした行為に具えるはたらきと考えられ,欧米圏における楽器などの道具"instrument"の語源(instruere:備える)とも通じる.
こうした人間-道具(技術)関係の哲学は,日本的な道具論にとどまらず,欧米の文脈においても展開されている.昨今では,ポスト現象学と呼称される領域において,人工物(技術)の媒介性に関する哲学が提唱され※1,ロボットや人工知能など先端的な技術と人間との関係の分析,デザインに大きな影響を与えている.
古典的,二元的に,技術を単に中立な立場に位置づけることや,客体である技術が主体である人間・社会のあり方を一方的に決定すること,あるいは主体である人間・社会が客体である技術のあり方を一方的に決定することだけでは,人間―技術の関係を十分に捉えきれていない.
人間―技術を相互につくりあう関係とすること,人間が技術をつくり,技術が人間をつくるというプロセスの中で,人間―技術としてのあらたな存在が生成すると捉えることが重要である. こうした人間―技術の関係は,現象としては技術利用における人間の「経験」を考えることになる.そして,この「経験」がデザインの対象となる.
「私が○○を経験する」と示すとき,○○をデザインの対象として捉えることが多い.その場合,どのような人においても同様の〇〇という経験ができることを期待し,ある条件下において実行可能であるように○○をデザインすることになる.ただし,こうした経験の理解の仕方においては,上述したような人間―技術を相互につくりあうという捉え方を困難にしてしまう.そこで,オートポイエーシス論の考え方を導入し※2「経験」とは「私(自己)」が生成するプロセスととらえてみる.つまり,私(自己)は,環境との相互作用である「経験」によって,そのつど生成する存在形態と考える.これにより,「私が○○を経験する」という枠組みから,「○○の経験を通じて私が産出する」という枠組みへと変更することができる.
この枠組みを道具,技術の使用へ展開すると,「私(主体)が『道具』(客体)を使う」という枠組みから,「『道具』の使用を通じて私(道具を含む)が新たに産出する」という枠組みへ変更することになる.
そして,冒頭に述べた,人間の行為可能性を開発しつづける方向性と組み合わせて考えると, 「『道具』の使用を通じて私(道具を含む)が新たに産出する」というプロセスとしての「経験」を展開する仕掛けづくりがデザインの対象となる.同じプロセスを単に継続するのではなく,絶え間なく新たなプロセスを生成することになることから,経験を拡げる,経験を拡張する「道具」をデザインすると呼ぶことにする.
ここでは,ある条件下で機能を実行可能とする「道具」のみを対象とするデザインから,その「道具」を使用する「私」との関係生成,「私」の在り方もデザインの対象になりうる. そして「私」の在り方に影響することから,倫理性の考慮を必要とする.ただし,人間―技術の関係でよく適用される規範的に限定する倫理では限界が予想されるため,人間―技術の善い関係をつくる,生の技法としての倫理性を組み入れるための方法論※1も必要である.
以上に言及した考え方のもとに本研究室のプロジェクトを具現的に実行するために,道具論(榮久庵 憲司)※3,人間拡張論(坂本 賢三※4,柴田 崇※5),オートポイエーシス論(河本 英夫)※2,そしてポスト現象学※1(Don Ihde, Peter Paul Verbeek,Steven Dorrestijn, Mark Coeckelbergh等)を手がかりとして,人間―技術関係におけるデザインの方法論の探索や,発見的な道具・機械システムの設計・開発に取り組む.

※1 ピーター・ポール フェルベーク,技術の道徳化 事物の道徳性を理解し設計する(2015) など
※2 河本 英夫,システム現象学 オートポイエーシスの第四領域(2006)など
※3 榮久庵 憲司,道具論(2000)など
※4 坂本 賢三,機械の現象学(1975)など
※5 柴田 崇,マクルーハンとメディア論 身体論の集合(2013) など

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